平成28年 6月24日(土)25日(日)

宮城県牡鹿郡女川町にある
女川町立女川小学校・女川町立女川中学校にて行われた

塗魂ペインターズ 塗装ボランティア

トミックスHP 活動報告にてご紹介させていただいております



その際、女川町立女川中学校に立てられた石碑と出会いました。



ボランティアを通して知ったこの石碑のストーリーと
女川に住む子供たちの想いを今日はブログに書きたいと思います。


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学校には紙1枚すら無く、絶望の縁に立たされていた2011年3月末。

月日が流れ、町の復興状況はまだまだ厳しいのが現実ですが、
それでも少しずつ前に進んでいます。

これからの町づくりを考えるとき、なによりまず、
この町のこれからの防災の仕組みを考えなくてはいけません。

「1000年先の命を守りたい」

発生した東北地方太平洋沖地震によって起きた津波で被災した、
当時小学6年生だった宮城県牡鹿郡女川町の子供たちが中心となり、

大きな悲劇を1000年後の人々にも伝承して、
後世の人々の命を守ろうと計画されたのが いのちの石碑 です。

被災時の3月11日は子供たちにとって、中学への入学を間近に控えた時期で、
被災後間もなく中学生となった生徒たちは、中学3年までの間に
津波対策について意見を出し合いました。

そして1000年後まで津波の教訓を伝えるために、
津波の到達地点よりも高いところに複数の石碑を建てることを決定。

女川町内に21の浜があることから、21基の石碑が建てられることになりました。

1基目はどうしても中学卒業までには建てたいとして、
津波から逃れられた自分たちの中学校に建てることが出来た。

石碑には1基1基異なった俳句と、千年後の人達が災害から身を守れるようにと
自分たちの経験した中からの教訓などを刻んだそうです。




2011.3.11 ここは、東日本大震災津波到達地点より高い
千年後の命を守るために

東日本大震災で、多くの人々の尊い命が失われました。

地震後に起きた大津波によって、ふるさとは飲み込まれ、
かけがえのないたくさんの宝物が奪われました。

「これから生まれてくる人たちに、あの悲しみ、あの苦しみを、
再びあわせたくない!!」

その願いで。

「千年後の命を守る」ための対策案として

@非常時に助け合うため普段から絆を強くする。
A高台にまちを作り、避難路を設備する。
B震災の記録を後世に残す。

を、合言葉に、私たちはこの石碑を建てました。


ここは、津波が到達した地点なので、絶対に移動させないでください。

もし、大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください。

逃げない人がいても、無理矢理にでも連れ出してください。

家に戻ろうとしている人がいれば、絶対に引き止めてください。


今、女川町は、どうなっていますか?

悲しみで涙を流す人が少しでも減り、
笑顔あふれる町になっていることを祈り、

そして信じています。

夢だけは 壊せなかった 大震災

2014年3月 女川中卒業生一同



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本当に、考えさせられます。

ですが、考えているだけでは駄目な事も知りました。



自分たちに出来ることをする

それだけで、誰かの助けになれるかもしれないことを
私たちは知りました。

そして今日も、これからも
塗魂ペインターズとして

助け合いの輪を繋いでゆけたらと、強く想います。